山田孝雄「文部省の假名遣改定案に反對す」

文部省の假名遣改定案に反對す

假名遣改定案そのものの矛盾不合理のものである事は、私が、當初大正十四年にこれを論じたのであるが、この程の少しの訂正は幾分が正しくかへつたといふものの、それが爲に、一層矛盾不合理の點が著しく成つたことは事實である。

かやうな案を文部省が教科書に實施しようとするといふ噂を聞いたときに私は文部省の役人が發狂したのでは無いかとまで疑つたのであるが、どういふ必要が有つてさやうな事を行はなければならぬか自分には全く合點が行かぬ。かやうな事を實行しようとする論者は直《スグ》に外國の例を引いて人を威嚇《オドカ》すが、自己の方に都合の惡い事は例をあげぬのである。そこで自分は佛蘭西の例を引く。佛蘭西は御存じの自由を第一主義とする國であるが、その國語の綴と發音とは頗る背違してゐる。然るにこの國では綴一字違つてもその文章は公には認められぬ。論文などを公に提出するに綴一字の誤が在つても受理せられぬといふでは無いか。かやうな事の爲に、それらの綴りの誤りを正して、それを以て生活の資源としてゐる者が在ると云ふ程である。これは極端に神經質な事といつてよい程ではあるが、佛蘭西人が如何にその國語の尊重に對して細心であるかを知るよい例である。私はそれ程までに至れとはいはぬが、今の文部省の役人に佛蘭西の例を告げて目をさまさせる人が無いのであるか。

私はこの案が小學校の教科書に用ゐらるゝといふやうな事は決して無いと確信してゐる。それは大正十四年に文部大臣が帝國議會で公に約束した言がある。それによれば、今遽にさやうなものの教科書に用ゐらるべき根據が無い事は明かである。

これが案に對しては先にその會の委員であつた島崎藤村氏がいちはやく反對論を公にせられたといふ事であるが、私は不幸にして未だその高論を拜見する機會が無い。次には七月一日の國學院大學新聞の松尾捨治郎氏の説、横濱貿易新聞の七月十二日號の與謝野晶子氏の説、時事新報の七月二十八日より三十一日にわたる美濃部達吉氏の説、又八月一日の冬柏の高田保馬市、與謝野寬晶子二氏の説、等を拜見した。その説く所に精粗出入はあるがいづれも自分は同感である。自分の意見は舊著假名遣の歴史の附録に既に述べてあり、今又、冬柏と日本及日本人との八月一日號に意見を述べておいたから繰り返さぬが、ただこゝに一二言明しておきたい事がある。

今日までの國語學者といふものはもとより純な學者も存することは明かであるが、又中には、學者であるよりも政策論者宣傳家であることの明かな人がある。それらの人は學問はそちら退けで、自己の政策論を宣傳して、これに國語學といふ銘を打つてゐる。それ故に國語學といふものは國語の改革運動の一名となつてゐるといふ風な結果も生じてゐる。この俑を作つた人は誰であるかは別として國語の學問をして不振に陷らしめ、不眞面目に墮落せしめた事は事實である。この弊は遲しといへども直ちに改められねばならぬものである。

次に言語學、國語學といふものは科學であるといふ事は宜しいとして、その言語なり國語なりが、傳統的のもので傳統以外に正不正の標準を求め得ないものであるといふ事を明かにしたものの今までに無い事である。言語や文字が社會的歴史的文化的のものである事はこれが正不正の標準をば傳統以外には求められぬものであるといふ一事でも明かである。同じ一といふ文字でありながら、漢字は「一」とかき算用數字は「1」とかくといふは傳統以外にそれの標準は無いといふ最も簡單な一例である。羅馬字論者のいふ羅馬字も西洋の傳統を重んずるからの論であると同じやうに一國の文化を重んずるものは、便不便にかゝはらずその國の傳統的文化を尊重せねばならぬ。今の假名遣改定論者の思想の根柢は傳統破壞といふ事に存するのである、この思想は明治のはじめにはき違の論として、吉野山の櫻を伐り倒し、奈良興福寺の五重塔を五十圓で拂ひ下げ同寺の金堂等を燒きすて、高取城を五百圓許で拂下げ、更に濱寺公園の松を伐らうとした思想である。然るに今や文部省は國寶保存法とか、史蹟名勝保存法とかいふやうに、法律を以てしてまで前の破壞事業と正反對の方向をとつて、其こはし殘した僅少の舊物の保護に心を盡してゐて、國語に對しては折角今日まで保護して來たものを遽に破壞しようとするのは私としては發狂したとしか考へられぬのである。

なほ又かくの如き事を主張する論者は明治の初年の破壞思想にかぶれて生じた國字論をかび臭い反古の中からとり出してそれを本尊の如く説くが、それは國寶とか名勝とか史蹟とかの破壞と共通した思想であつて、今日そんなものには何等の權威を認める譯には行かぬものである。それら破壞思想横溢の時代でも實行しなかつた國語尊重の事柄をこの國體尊重とか國寶保存とか識者が苦心してゐる時に、かやうな無謀の蠻勇を奮はうとせらるゝ根據がどこにあるか、全く私等にはその本旨の存する所が知られぬのである。

さうかといつて私等は一も二もなく頑迷に舊慣を墨守せよといふのではない。國語はます〳〵純化せねばならぬ。それは治水事業が水の本性にさからはず、その性に従ひてはじめて功を奏する如く、國語の本質を研究し、その本質本性を害せず、その本質本性を基として以て國語の純化は企てらるべきものである。甚だ失禮な申條になるかも知れぬが、何故にわが國に假名が生じて羅馬字のやうなものが生じないのであるか。わが國民は漢字から假名を考へ出した國民である。必要が在るなら羅馬字をまたずに、羅馬字の如きものを生じたに相違ない。然るにかゝはらず、假名の外に「ン」一字を生じただけに止まつた理由は何處に在るか。更に又假名專用文は一千年以前から在つて、しかもなほ今日まで常用の文章とならぬのは何か理由があるのでは無いか。これらの事を忠實に調べてからこそ、國事改良論も興るべきである。然るに明治以來六十年國字改良論が時々唱へられてゐ、又、國語學者も相當の數に達してゐるであらうが、これらの理由を知らうともせず、又研究せうとした人をも知らぬ。私はこゝに於いてわが國語學といふものが健全であるかをも疑はねばならぬ。

かやうな現状に於いて輕率にさやうなものを國民教育の大本たる小學校の教科書に用ゐようとするのは實に恐るべき事であつて、さやうな事を行ふといふ人があるならば、私はさやうな人々の存在を國家の爲に咀ふものである。わが國語の神聖を保護尊重する爲に、言靈の神の幸魂和魂の保護と奇魂荒魂の發動とを祈つてやまぬものである。

解説

本記事は『國學院雜誌』昭和六年九月號に掲載された、山田孝雄博士の「文部省の假名遣改定案に反對す」を電子テキスト化したものである。昨二〇〇八年、山田博士が鬼籍に入られて五十年が經過し、著作權の保護期間が滿了したため、ここに掲載するものである。原文にあるルビは《》に入れて示した。

昭和六年五月、臨時國語調査會は「假名遣改定案」を發表した。この改定案は極めて表音主義的な案であつた。當記事はそれに對する山田孝雄博士の反對論である。當記事は山田博士の論の中で取り立てて重要なものではない。山田博士自身が書いてゐるやうに、山田博士の國語問題に關する意見が知りたければ、他の論をも讀む必要があらう。

しかしながら、當記事は極めて興味深い意見を含んでゐる。當記事の要旨を簡單に纏めると

とならうか。この三つ目をもつとはつきり言つてしまへば、これは「正統表記こそ、自然に選ばれるべくして選ばれた、日本語に最適な表記法である」といふ論であると言へよう。山田博士の所論は、今でも壓倒的な説得力と迫力とを持つて我々に迫つてくる。

さて、當時、山田博士のやうに國語の破壞と戰ふ立場は必ずしも大勢ではなかつた。そのことは同年十月號の『國學院雜誌』の編輯後記にある次の文言から察せられる。

◇國語國文に關する雜誌は世に多い、が此重大危機に際し「假名遣案反對號」を特輯して敢然戰ふもの、實に本誌のみである。

人は常に易きはうへ流れる。しかし昭和六年には、山田博士らの奮戰によつて輿論が動き、國語改革が防がれたのである。さう考へてみると、そのやうな戰ひさへ許されなかつた戰後の國語改革がいかに亂暴極まるものであつたか、ますますはつきりしてくるであらう。