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ライトノベルはタイトルが三上章っぽい

ライトノベルと呼ばれる文学ジャンルがある。砕けた文体で書かれた若者向けの娯楽小説のことだ。

そのタイトルが面白い。

『吾輩は猫である』じゃあるまいし、文をそのままタイトルにしているというだけでなかなかユニークだが、それよりなによりこの構文である。国語学でいう「ハガ構文」、またの名を「象は鼻が長い構文」だ。(本当の意味でのハガ構文は「僕は友達が少ない」だけだけど)。


かつて英語では「私は何も知らない」と言うとき、"I don't know nothing." のように二つ否定語を使ったという。これは「二重否定」と呼ばれている。

ところが、昔の文法家は、これに無理やり論理学の概念を当てはめ「否定の否定なら肯定のはずだ」と言って、この使い方は誤りであると決めつけてしまった。そのため "I know nothing." のような言い方が定着してしまったという。


「象は鼻が長い」「僕は友達が少ない」のような「ハガ構文」も似たような扱いをされた構文だ。私が高校生だったころのテキスト『新総合図説国語』(東京書籍、2003年)には次のように書かれている。

私は美容師になることが夢である。

「私は…夢である」の対応は不適切。

→私の夢は美容師になることである。

(371ページ)

しかし、「私は美容師になることが夢である」のどこがどう不適切だというのだろう。これは日本語に「主語」という英語の文法概念を無理やり当てはめたために破格扱いされているだけであって、十分立派な日本語の文だ。

こうした構文は松下大三郎や三上章によって研究されてきた。三上は『象は鼻が長い』という本を書き、主語という概念の廃止を主張している。

(ところで余談だが、三点リーダ「…」は偶数個使うのが一般的であり、一個しか使わない方がよほど不適切ではなかろうか。)


かつての英語の文法家は、論理学を英語に無理やり当てはめて英語の文法を捻じ曲げてしまった。同じように先の教科書では、英語の文法を日本語に無理やり当てはめて日本語の文法を捻じ曲げてしまっている。

しかしライトノベルではこのハガ構文を堂々とタイトルにまで使っている。自由で自然な日本語を志向するライトノベル作家は、行きすぎた規範に囚われず、ハガ構文という自然な構文を好むのかもしれない。ジャンルごとにハガ構文の出現頻度は異なるのだろうか……?