神代文字信者にもわかる國語音韻史

中村明裕

音韻とは何か

さて、本論に入る前に音韻といふ言葉について説明しませう。音韻とは、體系的で心理的な音のことを指します。

例へば、「椅子です」と言つてみてください。「す」といふ音が二囘出てきますね。しかし、この二つの音は違ふ音聲です。標準語の場合、一囘目の「す」は咽喉の震へを伴ひますが、二囘目の「す」は咽喉が震へません。今度は試しに、咽喉に手を當てて「椅子です」と言つてみてください。どうでせうか。しかし、私たちはこれらの「す」の音を同じ音だと思つて、日常の會話をしてゐます。ですから、違ふ音聲ではあるのですが、同じ音韻なのです。

以下、音韻を記號として書くには、ローマ字をスラッシュで圍んで書きます。この書き方が一般的な書き方だからです。例へば、「す」は /su/ と書きます。それは「椅子」の「す」も「です」の「す」も同じです。

それでは、國語の音韻はどのやうに變化してきたのでせうか。分つてゐる部分も澤山ありますが、分つてゐない部分も相當澤山あります。分つてゐる部分の一部を見て行きませう。

上代の音韻

上代とは、國語學では普通、奈良時代を指します。奈良時代になるまでは纏まつた資料がないので、音韻がほとんど分りません。支那の文獻『三國志』の中の魏志倭人傳(彌生時代)や、古墳から出土した鉄劍銘(古墳時代)くらゐしか資料がないのです。(「神代文字がある」ですつて? 神代文字が學會で認められた存在でないことを思ひ出してください。)

奈良時代の文獻『古事記』や『萬葉集』などは、ほぼ全て漢字で書かれてゐます。例へば、雨(アメ)は「安米」「阿妹」「阿梅」などと、國語の音韻を漢字の音で寫して書くのです。これが萬葉假名です。萬葉假名には「山上復有山」と書いて「いづ」と讀む(「山」の上に「山」をもう一つ書くと「出」といふ字になるからです)など、他にも特殊な書き方がありますが、ここでは關係ありません。

さて、この萬葉假名を良く調べて見ると、奇妙なことが分ります。雨は「安米」「阿妹」「阿梅」などと書き、姫(ヒメ)は「比賣」「比咩」「必謎」などと書くのですが、雨を「阿賣」「阿咩」「阿謎」などとは書かないのです。姫を「比米」「比妹」「比梅」などとも書きません。「米・妹・梅」は同じ單語で同じやうに使はれ、「賣・咩・謎」も同じ單語で同じやうに使はれるのですが、「米・妹・梅」のグループと「賣・咩・謎」のグループは同じ單語で同じやうに使はれることがないのです。

これはなぜでせうか。現代語では雨の「め」も姫の「め」も同じ /me/ ですが、實は上代では違つたからです。「米・妹・梅」は /më/、「賣・咩・謎」は /me/ だつたと考へられてゐます。かうした使ひ分けのある文字は、片方を甲類、もう片方を乙類と呼びます。

このやうな使ひ分けのある文字は、キ・ヒ・ミ・ケ・ヘ・メ・コ・ソ・ト・ノ・モ・ヨ・ロと、その濁音でした。「モ」の使ひ分けがあるのは『古事記』だけなので、恐らく途中で /mo/ と /mö/ は一緒になつてしまつたのでせう。

これらの書き分けのことを上代特殊假名遣と言ひます。


さて、現在「え」は /e/ 一つしかありません。しかし、上代には /e/ /we/ と /je/ といふ三つの音がありました。また、「い」にも /i/ /wi/、「お」にも /o/ /wo/ がありました。

これらも上代特殊假名遣と似た調べ方で判明したものです。

また、長音(ー)、撥音(ン)、促音(ッ)、拗音(ャュョ)は當時の文獻には出てきませんから、當時はなかつたと考へられます。


これらのことを踏まへると、上代の音韻は次の表のとほりといふことになります。

ア   イ   ウ   エ甲     オ
カ キ甲 キ乙 ク ケ甲 ケ乙 コ甲 コ乙
サ   シ   ス   セ   ソ甲 ソ乙
タ   チ   ツ   テ   ト甲 ト乙
ナ   ニ   ヌ   ネ   ノ甲 ノ乙
ハ ヒ甲 ヒ乙 フ ヘ甲 ヘ乙   ホ
マ ミ甲 ミ乙 ム メ甲 メ乙 モ甲 モ乙
ヤ       ユ   エ乙   ヨ甲 ヨ乙
ラ   リ   ル   レ   ロ甲 ロ乙
ワ   ヰ       ヱ     ヲ
ガ ギ甲 ギ乙 グ ゲ甲 ゲ乙 ゴ甲 ゴ乙
ザ   ジ   ズ   ゼ   ゾ甲 ゾ乙
ダ   ヂ   ヅ   デ   ド甲 ド乙
バ ビ甲 ビ乙 ブ ベ甲 ベ乙   ボ

現在の五十音表と全然違ひますね。しかし、神代文字の表はこれよりむしろ今の五十音表に近いのではないでせうか? それは、上代よりもずつと後の時代に作られたからです。

平安時代以降の音韻

平安時代になると、上代特殊假名遣はなくなつてしまひます。同じ發音になつたからだと考へられてゐます。

そして、/je/ と /e/ の違ひも失はれてしまひます。すると以下のやうになり、現代の五十音表にとても近くなります。

ア イ ウ エ オ
カ キ ク ケ コ
サ シ ス セ ソ
タ チ ツ テ ト
ナ ニ ヌ ネ ノ
ハ ヒ フ ヘ ホ
マ ミ ム メ モ
ヤ   ユ   ヨ
ラ リ ル レ ロ
ワ ヰ   ヱ ヲ
ガ ギ グ ゲ ゴ
ザ ジ ズ ゼ ゾ
ダ ヂ ヅ デ ド
バ ビ ブ ベ ボ

この頃、漢語音の影響などから、撥音、促音、拗音などが生れることになります。


さて、現在「つたう(/tutau/)」と發音される語を、この頃の文獻では「つたふ」と書きます。これは當時この語を實際に /tutaFu/ と發音してゐたからです。同じ發音のものを書分けてゐたわけではないのです。この頃の書き方、發音を基準としてゐるのが、いはゆる歴史的假名遣です。

それではいつから「つたう」と發音するやうになつたのでせうか。これは11世紀初頭に一般化したと言はれてゐます。この頃から、それまではきつちり書分けられてゐた語中の「はひふへほ」と「わゐうゑを」を混同して書かれた文獻が現れます。語中語尾のハ行の音がワ行と同じやうに發音されるやうになつたからです。この發音の變化をハ行轉呼と言ひます。

これらの音韻は次のやうに變化したと考へられてゐます。尚、ハ行は今のファ行に近い音だつたと考へられてゐますので /F/ としておきます。

上代       /wa/ /Fa/   /i/ /wi/ /Fi/   /u/ /Fu/   /e/ /je/ /we/ /Fe/   /o/ /wo/ /Fo/
         |    |     |    |    |      |   |     └┬┘    |    |     |    |    |
10世紀半ば /wa/ /Fa/   /i/ /wi/ /Fi/   /u/ /Fu/     /je/   /we/ /Fe/   /o/ /wo/ /Fo/
            └┬┘|     |   └┬┘|    └┬┘|        |     └┬┘|     |   └┬┘|
11世紀初頭 /wa/ /Fa/   /i/ /wi/ /Fi/   /u/ /Fu/     /je/   /we/ /Fe/   /o/ /wo/ /Fo/
       |    |     |    |    |     |    |        |      |    |     └┬┘    |
11世紀     /wa/ /Fa/   /i/ /wi/ /Fi/   /u/ /Fu/     /je/   /we/ /Fe/     /wo/   /Fo/
       |    |    └┬┘     |     |    |       └┬─┘     |        |      |
13世紀     /wa/ /Fa/    /i/     /Fi/   /u/ /Fu/      /je/       /Fe/     /wo/   /Fo/

神代文字の文獻の中には假名遣の間違ひが多いものがあります。例へば、「つたふ」の連用形である「つたへ」を「つたゑ」や「つたえ」などと書いてゐることがあります。語中の「へ」と「ゑ」が同じになつたのは11世紀初頭、「え」と「ゑ」が同じになつたのは13世紀ですから、それを間違へてゐる文獻はそれより古い文獻ではないと分ります。


平安時代には漢語の影響で /kwa/ /kwi/ /kwe/ といふ音が生れましたが、/kwi/ /kwe/ はすぐに /ki/ /ke/ と同化し、 /kwa/ も江戸期には /ka/ に同化しました。

中世にはオ段の長音には /ɔ:/(開音)と /o:/(合音)の二つがありました。この差は、日本語をポルトガル語に譯す中世の辭書『日葡辭書』に書かれてゐます。この差は17世紀には失はれました。近世にはエ段の長音が生れました。近代になつて西洋語の影響でア段、イ段の長音が生まれ、長音が全て出揃ひました。

江戸期になると「ジ」と「ヂ」、「ズ」と「ヅ」が混同されるやうになります。かつて /ti/ /tu/ が今の「ティ」「トゥ」に近い音で發音されてゐたのが「チ」「ツ」に變化したことに引き摺られたのです。

尚、江戸期には /F/ は現代のやうなハヒフヘホの音になりました。それまで /se/ は今のシェのやうな音でしたが、今のセのやう音になりました。

結論

今では同じになつてしまつたいくつもの音韻は、古くは別の音韻でした。從つて、これらの假名遣を後の世の人が間違へることはあつても、當時の人が間違へることはありえません。上代より前の音韻が13世紀以降の音韻と全く同じなどといふことはありえないからです。それらを間違つて書いてゐる文獻があれば、それは新しいものです。もしも將來「か」と「み」が同じ音になるとしても、今の私たちがその二つの音を間違へないのと同じです。

以上のやうな智識を持つて神代文字に臨めば、それらが幻想あるいは妄想であり、僞物であることが自然に分ると思ひます。

參考文獻

その他、國學院大學吉田永弘准教授の「日本語學概説」の講義で配布されたレジュメや、橋本進吉博士の「古代國語の音韻に就いて」も參考にしました。

本記事では參考にしてゐませんが、以下の記事は神代文字を考へるには役に立つことと思ひます。