海賊裁判傍聴記

はじめに

ソマリアの海賊が日本に来ている。日本の会社が運航するタンカーを襲撃したからだ。

その事件の概要はWikipedia「ソマリア沖商船三井運行支配未遂事件」の記事にまとめられている。

筆者中村がソマリ語を学ぼうと思ったのも、実はこの事件がきっかけである(はじめに――またはソマリ語の必要性)。

この事件の裁判が、連日、東京地方裁判所で開かれている。

2013年1月18日、筆者はこの裁判の傍聴に出かけた。以下はその裁判の記録である。裁判は録音が禁止されているためメモと記憶に頼って書いているので、不足や不正確な部分、筆者の脚色の多々あることはあらかじめご了承願いたい。

裁判所へ

話題のこの裁判は傍聴を望む人は多い。傍聴には抽選に当たる必要がある。なにを隠そう、筆者は裁判の傍聴は生まれてはじめてであり、勝手もわからない。入り口の金属探知機にひっかかりまくり、交付所はどこかと係員に聞くと外だと言われたのでまた外に出て、外で交付所はどこかと聞くと「まだ係りの人が来ていないから中で温まっているといい」と言われ再び入りどうたらこうたら……。それでも運よく籤に当たり、傍聴券を手にした筆者は、東京地方裁判所412号法廷で開廷を待った。

通訳者の席に黒人男性(※ソマリ人だろうか)と東洋人女性(※日本人のようだ)が座っている。ソマリ語日本語間の通訳が用意できず、日本語⇔英語⇔ソマリ語という、ずいぶん面倒な段階を経て裁判が行われることになったのである。

2人の被告人が連れてこられた。1人は色黒で白髪交じりの坊主頭で、あごひげを生やしている。もう1人は色が割と白く、どちらかというとアフリカ人というよりアラブ人のような外見だ。「海賊は大便を頭になすりつけた」の記事を見ると、色黒で坊主頭の方がアブデヌール・フセイン・アリ被告で、色白の方がマハムッド・ウルグス・アデッセイ被告のようだ。

裁判官と裁判員が入廷する。裁判員はみな私服だ。この事件は最高刑が無期懲役であるため、裁判員裁判が行われる。しかしソマリアの海賊を日本の一般市民に裁くことができるのだろうかという声もある。

13:30、開廷。

アブデヌール・フセイン・アリ被告が証言台に立った(※実際には座ったのだが)。

冒頭、弁護人は被告人に職業を尋ねた。実際には木を伐り木炭を作る仕事であったが、通訳の行き違いからか、漁民として間違って伝わっていたらしい。

海賊の組織

弁護人の「あなたたちが日本に連れてこられる理由となった、タンカーに乗り込んで失敗した事件は本当ですか?」という問いに、被告人は「認めます」と答えた。

弁護人は被告人に、海賊の組織を尋ねた。その答えは次のとおりである。

被告人は少年Aのことを「×××」(※もはやプライバシーもなにもない気がするが、未成年であるので念のため伏せる)と呼んでいる。弁護人は「×××とは少年Aのことですか?」と聞く。被告人は「私は彼の本名を知りません。×××はニックネームです」と答える。

海賊計画

ついで弁護人は、海賊がどのような計画だったのかを尋ねた。アリ被告が質問に答える一方で、アデッセイ被告はあくびをひとつ。

弁護人は「どのようにシージャックするつもりだったのですか」と聞く。

弁護人は「もし乗組員が抵抗したらどうするつもりだったのですか」と聞いた。被告人は「それでも虐待、殺害はしないつもりでした」と答えた。

計画実行

被告人は「リーダーが「お前とお前、立て、行け」と命じました」と、身振り手振りをまじえて説明する。

弁護人が「あなたはソマリ語以外話せるのですか」と聞くと、被告人は「いいえ」と答える。弁護人が「それではどうやって船長にそれを命じるつもりだったのですか」と問うと、被告人は「少年Aは少しだけ英語を話すことができます」と答えた。

弁護人が「どうタンカーから母船に連絡するつもりだったのですか」と聞くと、被告人は「それは私もどうしようかと思いました。連絡する手段はありませんでした。しかし、遠くへは行かないだろうから目で見えるだろうと思ったのです」と答えた。彼らは筆者が思っていた以上に無計画であった。

「リーダーに見捨てられた!」

弁護人は「ここまでは予定について聞きましたが、ここから事実について聞いていきます」と言い、その日に会ったことを聞いた。被告人は次のように答えた。

弁護人は「4人しか乗り込めなかったのに、中止しようとは思わなかったのですか」と聞く。被告人は「私は引き返そうと思いました。けれどもボートとタンカーは離れてゆきました。私は泳げないんです。もうタンカーの中に進むしかありません」と答えた。

弁護人が「リーダーたちが乗ってこなかったことをどう思いますか」と聞く。被告人は「他の3人がどう思っているかは知りません」と慎重に前置きしてから、答える。「これは私の考えですが、船の上に海賊対策の有刺鉄線が張りめぐらされているのを見て、リーダーは私たちを見捨てて逃げたのだと思います。リーダーは私たちに嘘をついて騙したのです! 私は海賊をするのは初めてですから、タンカーが海賊対策をしているなんて知りませんでした」。

リーダーたちが去った後の彼らの行動を、弁護人は尋ねた。

それもそのはず、24人の乗組員は全員避難室で待機していたのである。

14:30、休憩に入る。筆者はちょうどトイレに行きたくなっていたところなので助かった。うー、トイレトイレ。

崩れてゆく計画、そして投降

14:55、再開。

弁護人はまず、×××というのが4人のうちの誰であるかを聞いた。被告人は(1)番から(4)番までの4枚の写真のうちの1枚、写真(1)(少年A)を指さし、「本名は知らない」と言った。

そして弁護人は事件の顛末の続きを聞いた。

弁護人が風向風速計の写真を見せ「これを撃ったのですか」と問うと、被告人は「そうです」と答えた。

筆者は驚いた。筆者が読んだ日本国内での今までの報道によれば、彼らはタンカーの操縦を試みたことになっているからだ。

弁護人が機械の写真を見せ「これがなにかわかりますか」と問うと、被告人は「わかりません」と答える。「これを触り動かしましたか」と問うと、「いいえ、1度も動かしたことはありません。そもそも私には字が読めないのです」と答えた。

弁護人が「先日検察官がボイスレコーダーの音声の証拠を法廷で流したのをおぼえていますね?」と聞くと、被告人は「はい」と答える。

弁護人は「ソマリ語で、ソマリアの国際電話番号を確認しようとしたことをおぼえていますか?」と聞く。被告人は「最初の部屋に無線電話がありました。誰かソマリアの国際電話番号をおぼえているかと聞きましたが、誰もおぼえていませんでした」。

弁護人が携帯電話の写真を見せる。被告人は答える。

筆者はタンカーに乱入した海賊が居眠りをするイメージを思い浮かべた。あまりにシュールである。

弁護人は船長室の写真を被告人に見せた。被告人は、それがなんの写真かわからないと言い、「私は字が読めませんし、書けません」と言った。被告人は続きを問われ、答える。

15:50、休憩に入る。

いくつかの事実確認

休憩中、通訳の黒人男性が日本語らしき言語で話をしているのを見かけた。また被告人のソマリ語の "Haa."(はい)"Maya."(いいえ)を通訳の東洋人女性は理解しているように遠目では見えた。筆者の勘違いかもしれないが、いくらかは話せるのかもしれない。

16:00、タンカーの模型が法廷に運び込まれてきた。それを見た書記官が「おおっ」と声を上げた。

アデッセイ被告が何やら通訳の男性と話している。弁護人の一人が「もうちょっと我慢できますか」と聞いているのが耳に入った。どうやら体調不良を訴えているらしい。そういえばアデッセイ被告は拘禁反応がひどいと「海賊は大便を頭になすりつけた」の記事で読んだ。

16:15、再開。

弁護人はまず、4枚の写真を見せ、名前を確認した。少年Aは先に確認したとおり(3)番だった。少年Bの第3名を弁護人が言うと、被告人は(4)番を指さした。弁護人が「この(4)の写真ですね」と聞くと、被告人は「私は文字が読めませんからそれはわかりませんが、この指さしている写真に間違いありません」と言った。

残りの(1)は誰かと弁護人が問うと、被告人は「マハムド・ウルグス」と答えた。(※しかし傍聴席からモニタの写真があまりうまく見えなかった。モニタが日本人の顔が見やすいくらいの輝度なのか、全員顔が黒くて見分けがつかない。マハムッド・ウルグス・アデッセイ被告は目の前にいるのだから確認してもよいのではないかと心の中でぶーたれた。

弁護人が「少年Aの撃ったらしい銃声を聞いたとき、少年Bはあなたと一緒にいましたか」と問うと、被告人は「はい」と答えた。弁護人は船の模型と模型の写真を用意して、そのとき少年Aがどこにいて、被告人らがどこにいたのかを聞いた。被告人は指さした。

アリ被告の生い立ち

弁護人はアリ被告の生い立ちを尋ねた。

弁護人は聞く、「子供のころはどうすごしていたのですか?」。被告人は答える、「家族と一緒にいたころ、私の家は貧しくて、コーランを学ぶ学校に通うこともできませんでした。食事も1日3食は食べられず、1日1食の日もありました。日中は近所のホームレスの子供たちと遊び、帰って眠るという生活でした」。

弁護人はそれから3つ質問をした。「ソマリ語の読み書きを教わったことはありますか?」「算数はどうですか?」「ソマリ語の読み書きはできますか?」。被告人の答えはいずれも "Maya."(いいえ)であった。

16:50、閉廷。

内戦の貧しさから海賊行為に手を出したアリ被告。しかし彼らの海賊計画は、ただタンカーに乱入し、虚空に銃を乱射し、無銭飲食し、居眠りをし、アメリカ軍に拘束されて終わった。「自分たちはリーダーに騙された」と、アリ被告は言う。儲け話にほいほいとついてゆき、見捨てられ、見たこともないような黄色い肌の人間たちに取り囲まれて、聞いたこともないような言語で尋問される彼らの気持ちはどんなものなのだろうか……。

追記

「エルダナエ」の位置について、mashabow 氏から、 Ceel Dhahanaan(エール・ダハナーン)のことではないかとの情報をいただいた。

Ceel Dhahanaan はガルカイヨと同じムドゥグ州に属する。また、海辺にあり、Wikipediaの地図を見るに海賊の拠点となっているようである。ガルカイヨからは直線距離で190kmほど離れているが、そもそもガルカイヨは内陸であり、このあたりが最も近い海である。このような条件を考えると、エルダナエ = Ceel Dhahanaan と見てよかろうと思う。

追記2

2013年2月1日、東京地方裁判所はアリ被告、アデッセイ被告の両名に懲役10年の判決を言い渡した。